読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

思い煩うことなく楽しく生きたい

アラサー理系女子の愚痴/専攻は生物学/趣味は山登り

他人に左右される生き方ってつまらないでしょう?大人ならやめましょうよ。

 仕事ではないが、子供とかかわる機会が多い。年齢は小1から小6程度である。

 

 彼らは私に会うたびこう言うのだ。

 「なんで子供いないのー?」

 「結婚しているのに子供いないなんておかしくないー?」

 「来年には生まれるのー?」

といった具合である。我が家には残念ながら子供はいない。そして今後産むこともない。

私も夫も子供を産むには難ありな身体だからだ。しかし、子供に固執したことはないので、とくに不妊治療をするつもりはない。夫と私、そして動物だけで十分だ。

 

 そして会う度同じ質問をする彼らを、私は特になんとも思わない。なぜなら彼らは子供だからだ。子供の言うことを真に受けるなんてことはしない。彼らはまだ、「子供ができる仕組みも、社会問題も、何のために勉強するのかも分かっていない」”お子様”だからだ。

 

相手が大人になると厄介だ。大人なら、なぜ子供を産まないか、理由があることくらい察するものである。しかし、時々デリカシーのかけらもない大人がいるので呆れてしまう。

 「子供ができたら、今のようにはいかないわよ」

 「子供ができたら、その家は住みにくいんじゃない?」

 「子供ができたら、あれこれ大変よ」

だから、なぜ「産むことが前提」なのだろうか。一昔前ならともかく、昨今は産まないことを選択する夫婦も多いのを知らないのだろうか。知らないならともかく、知っていて言うのなら悪質である。子供を産まないのを前提に今の生活を作り、子供のを産まないことを前提に今の家を購入し、子供を産まないことを前提に結婚したのだ。それはすべて自分たちで決めたことだ。それをなぜ他人に意見されねばならないのだろうか。老婆心で言っているのかもしれないが、今の時代、「セクハラ」「マタハラ」になることを念頭に置いて発言してほしい。

 

 子供の言うことを真に受けないと書いたが、実は大人の言うことも真に受けない。もちろん、よい意見だと思えば取り入れるが、そうでなければスルーである。いい年の大人が、他人の意見に左右されて生きるなんて、それこそ「お子様」だ。

 私は他の大人に「子供ができたら~」の発言をされても、「そうですね~あはは」と返す。いちいち我が家の事情を話すなんて面倒くさい。同情もしてほしくない(特に悲しいわけではないので)。適当にかわして生きるのだ(もちろん、考えを変える場合もある、変えたほうがよい場合もあるのは確かだ)。

 

 「他人に左右される生き方ってつまらないでしょう?大人ならやめましょうよ。」